鬼を泣かすぞー

あけましておめでとうございます。ほぼ一年ぶりの更新です。
そしてこのタイミングで去年の話をするわけです。

お題:PPAPについて
PPAPについては、どうにも斜に構えた評が多い。流行ってるから面白いんだろうね、とかそんな感じだ。
その割には電通の陰謀とかメディアスクラムとか芸能プロの力関係の話はあんまり(あんまり)見ないが、まあ正面から「これおもしれー」という人は滅多に見ない。
正直、現代の病理はここまで来たかと思った。みんな音ネタ=面白くないけど流行るものという固定観念が強すぎて、人類の到達点と言ってもいいギャグですら笑えなくなっているのだ。

さっきのセンテンスを言い換えると、つまり「PPAPは間違いなく面白いギャグだ」ということだ。しかもこの面白さは、感性によらない。
まともな評論の出来る人間なら、「面白いんだろうけど、俺は笑えなかった」などとは絶対に言えない。

PPAPはまず、「I have a pen」から始まる。この時点でまあまあ面白い。
次に「I have an apple」と続く。これは先ほどの文章を受け、特に日本で英語教育を受けた人間に対し、一つの流れを予想させる。
つまり、英語の教科書あるあるネタだ。思うに、「まあ面白いんだろうね」派はここで聴くのをやめたのだろう。
しかし、ピコ太郎の天才ぶりはここから始まる。先ほどの流れに反し、アップルとペンを合体させるわけだ。一つの流れを確信させつつ、その流れから合理的に外れてみせる。この落差が笑いを産む。つまり、オチだ。
奴は更に畳み掛ける。次はペンとパイナップルを合体させる。そしてまた、視聴者に一つの流れを予想させる。このまま延々ペンと果物を合体させるのか。
というところで最後の裏切りをかける。そして、そこでPPAPとは何か、その驚愕の真相が語られるのだ。
この曲は、起(起承転)承(起承転)転結という二重構造で細かくオチを付けながら大オチでタイトルに持ってくるという単純にしてよく練られた構造で、笑いの教科書とも言うべきものだ。最初のつかみで笑いをとっていくのも忘れない。

俺自身も最初にPPAPを見たとき、確かにくすりとも笑えなかった。衝撃を受けすぎて感情がなくなってしまったからだ。大袈裟に言ってるんじゃないぞ、マジなんだぞ。ただ、このとき、「死ぬほど笑えたな、全く笑えなかったけど」という感想を直感的に抱いた。
しかもこの笑いは構造的なものだ。構造さえ知ってれば、あらゆるギャグに応用できる。フレーズさえ取り換えればTRPGのシナリオになるし、俺は書かないから実際には分からないが漫画や小説にも使えるはずだ。
実際問題大事なのは、「流行ってるものは優れているはずだ」という先入観を持ってコンテンツに臨むことだと思う。そりゃいろんな政治力で流行ったことになってるクソみたいなものもあるが、どれだってどこが面白いと「されている」のかすら分からず受け取り拒否していては、テレビ見てる時間が本当に無駄にしかならんよ。

政剣

過去記事見れば分かると思いますが、言いたいことは大抵ついったで足りてしまうのでこちらを更新するのはやたら長文で語りたくなる時だけになるわけです。そして今がその時です。
2月のあたまぐらいに突如としてサービス開始になり、微妙になっている政剣マニフェスティアが大方の予想に反して良ゲーだったので感想その他を書いておきます。

  • 題材

一体何のことかわかりませんが、これさえなければ艦これ越えとは言わなくとも、第二の艦これぐらいは狙えたんじゃないかと思います。ただ、一体何のことかは分からないながらもシステムや、アイテム、アップデートそして勿論シナリオにも執拗に小ネタがちりばめてあり、ここ数週間はほぼ毎日何かに気付いて笑ってます。
極めて奇妙な表現ですが、ここに関しては、すべての要素が我々の要求水準を超えてしまっている点が非常に惜しいところです。

  • ゲームシステム

タワーをディフェンスするのは重要ですが、これはタワーディフェンスではないというのが主流の意見のようです。
何かの丸パクリではないのでシステムの説明は難しいのですが、道路や建物が既に建設されているRTSというのが妥当なところですかね。
ただ、一度に連れて行けるキャラが少なく再配置もできず、敵の沸きポイント数に対してキャラの移動速度が遅い一方、敵の沸き方や行動パターンは固定なので、気分的にはパズルゲームやってる感覚があります。
パズルゲームとして見たときにはゲーム本編だけでなく、種々のボーナスやちょっと特殊な経験値計算式のおかげで、育成も気の長いパズルとして楽しむことができます。
ステージの難度設定も、相当考えられて作られているようです。このクオリティをどこまで維持できるかは微妙なところというか、次の追加マップではもう駄目なんじゃないかと心配するぐらいには絶妙です。

  • キャラ

基本、ガチャゲーですが、キャラの数が少なく(何のことかわかりませんが題材的にこれから大幅に増えることもなさそうですね)、序盤でけっこうガチャの権利がもらえるので、よほどのハードラックでなければそこそこの戦力はそろうのではないでしょうか。ついでに言えば、ステージクリアで特定のキャラが加入していくので戦力的に詰むということはまず無いようです。
チャゲーの宿命であるキャラ被り対策などもされていて、本気でいろいろ考えてるんだなあという感じがします。
チャゲーの宿命で最高レアであるSSRとそれ以下には、特に一部のキャラで雲泥の差がありますが、SSR引ける率自体は高め(目当てのSSRが引けるとは言ってない)で、課金10連やったら1〜2枚は期待できるぐらいです。いや、他のゲームも課金ガチャでぐらい最高レアよこせよって話なんですけどね。
イラストは全体的にレベル高いですね。声優は・・・まあ
なお、18禁ではないのでエロはパンチラが限度のようです。ほんとに一線だけは超えてきませんねこのゲーム。

ひさびさの更新がこれ

新年あけましておめでとうございます。
実家でダウン(風邪)してる間に思いついたので、改訂版とら子エンジンを書いておきます。多分これが一番バグが少ないと思います。
版権は主張しないので、意味が分かった人は自由に使っていいよ。使えるなら。


前提 :人を疑わない
前提 :殺人をためらわない
前提 :メタ視点での対応はしない
1   :既に入っている予定(依頼・プライベートに関わらず)を優先する
2   :宿命を振っている相手の誘いを断らない
3   :犯罪行為は行わない
4   :直属の上司の指示に従う
5   :場のリーダーの指示に従う
6   :依頼を途中で放棄しない
7   :目の前の人を助ける
8   :連絡・確認は最小限に抑える

今回の反省点とか

というわけで今回は、ブレカナ新版の舞台が前作から100年後ということを踏まえたシナリオである、「ヒルダ 対 メカヒルダ」は無事に卓が成立し、プレイヤーからは好評をいただきました。ただ、反省点がいろいろあったのでとりあえず反省しときます。

  • 合流に手間取った

PC間の関係を事前に十分想定しておかなかったため、こいつどうやったらPTに混ざれるんだろうって状況になりました。別段、プレイヤーのせいではなく、シナリオの設定練り込み不足です。正直、個別導入ゲームは合流したらゲームは7割がた終了みたいな面があるので、小ネタばっかり出してないでそこをしっかり固めるべきでしたね。

  • 直前に思いついたネタを書き留めておかなかった

事実上、実害はないのですが、シナリオに盛り込めなかったのを後で思い出してやり残し感が出てしまいました。手書きメモでいいから書いておくのは重要ですね。

  • 前作との細かいルール違いのチェック不足

ちゃんと端から端まで読んでおけよって話ですよね。

  • イベントの調整不足

用意していたイベントが起きようのないところにPLを誘導してしまったため、せっかく書いておいたイベントを出せなかったりしました。ターン数などをカツカツに管理するシナリオでなくとも、作中時間のタイムラインはちゃんと作っておくべきと感じました。


まとめると、シナリオはきちっと作っておけってことなんですけどね。


TRPGはじめて10年以上たつのに、初心者GMみたいな反省点ですが・・・

若さとは

色々なことがあった結果、若者の政治活動が活発になったようです。例によってマスコミがニュースソースなので若干の色眼鏡は必要かと思いますが。
僕はツイッターでこういうことについてあらぶってるので誤解されるかも知れませんが、僕自身はこういった政治活動は良いことだと思っていますし、政治的な活動をしたことそれ自体によって、社会から白い目で見られるような世の中ではあってほしくないと願っています。
しかし、ここから先の話は「彼ら」の見解とは大きく違ってきます。
まず、民主主義の原則として、政治的な活動をするのは自由です。そうであるならば、私企業も、特定の政治的思想を拒否する権利がなければいけません。いかなる個人もあらゆる政治的信条を受け入れなければいけないという考えは、思想信条の自由を明らかに侵害しています。
また、反国家的な(これの認定をどうするかはかなりデリケートな問題ですが)思想の持ち主を公務員として採用することは、国家の保安上、全く許されないことです。多くの人が誤解していますが、国体の保全は個人の自由より優先されます。そうでないならば、急進的な無政府主義者の思想を反映し、国家は解体されるべきです。
つまり、若者の政治活動にはリスクがあります。そのリスクは、現実として存在してしまっているというものではなく、理論によって、思想によって裏打ちされています。「個人の思想や政治的信条によって、就職や社会的生活が不利になることがあってはならない」などという原則は、人類が発祥して以来どこにも存在しません。彼らはそれを認識しているでしょうか?
勿論、彼らの耳にはそういう忠告は届いてはいるようです。ですが彼らは目の前の戦争とか民主主義に反応してしまい、思想について、政治について、国家の在り方について、国家の中の市民の在り方についての考察が非常に不十分なので、上記のことを全く理解していないように思えます。
マスコミは理解しているのでしょうか。全く語ってはくれませんが、彼らは報道しない自由をかなり濫用するので、もしかしたら分かってて煽っているのかもしれません。
シールズの、名前付きでテレビなどで出てるクラスの人たちはまあ、「就職先」があるんでしょうが(彼らは否定してますけどね)、そうでない木っ端構成員の将来は普通に心配です。ヤケを起こして山荘に閉じこもらないでくださいね。

最近民主主義よく死ぬよな

国内にもいろいろ言う人がいますが、リアルに民主主義が死んでるのは中国と中東です。
というか、中東の方は民主主義的なプロセスを経てイスラム原理主義者がトップに立つぐらいの勢いです。
一方、イスラム原理主義者や、その一歩先の過激派の主張は、我々としては受け入れがたいことばかりです。女は所有物であり学問はいらない、イスラム教徒以外は人間じゃないから奴隷として売っていいと言ったところが主ですね。
これに対して、西洋社会の回答は融和ではなく、よりにもよってこれに真正面から対立したマララちゃんを平和の象徴に公認してしまいました。これはどう取り繕っても、イスラム教徒は全員死ねというメッセージ以外の何者でもありません。
こんな国際情勢の中で、日本は国を挙げてイスラム教に改宗するのでしょうか。共産党とか民主党の人たちの意見によると今日にでも改宗するらしいですが、僕は嫌です。というか、共産党無宗教じゃないんですか。
早い話、常識の範囲内の対応では、何をどうやっても日本はイスラム過激派のテロ目標リストに入ります。対米追従でテロの可能性が高まろうはずもありません。というか、アメリカをもっと強気にさせてあのあたりから人間を駆逐するぐらいの勢いでやらないとテロのリスクは減少しません。
中国に関しては、僕としては何があっても絶対にチベット人にだけはなりたくないというのが個人的な意見なんですが、国際社会の目があるからそうはならないよという意見も根強いですね。
まあ、国際社会はそういうことがあったら批難したくなるでしょうね。実際に批難したらその瞬間に国連が消えてなくなるんですけどね。
さすがにそんな強硬手段は一度きりでしょうが、その一度きりのカードはどこで切るのが適当でしょうか。新シルクロード構想にあわせてモンゴルあたりですかね。


植民地時代から冷戦構造崩壊までは、西洋文化の中での内ゲバでしかありませんでした。日本は一瞬メインプレイヤーになりましたが、西洋思想の枠内でしか動いていませんでしたし、結局、どこが勝っても大きな価値の変動など起きない状況でした。たとえ、共産主義が世界を席巻しても、です。
冷戦終期から20世紀中ぐらいまでの多様化も、西洋の論理と折り合いのつく範囲内で認可されていきました。
ただ、今残っている問題はそんなに単純なものではありません。もう絶対に捨てられないものを、何か捨てないと先に進まないのが現状です。その「捨てられるものリスト」に入らないために、今できる努力はするべきです。
集団安全保障を主張すれば冷戦構造から頭が切り替わっていないと反論する人がいますが、僕から言わせれば、そういう考えこそ冷戦批判の構造から頭が切り替わっていない証拠です。

今までの国際情勢は軍事・経済・外交で語ることができました。なぜなら、世界に影響を及ぼせるほどこれらの力を持っていたのは西洋の価値観を共有する国だけだったからです。これからは、かならずしもそうではない国・・・中国、中東、インドとの共存共栄、もしくは闘争を、もっと真剣に考えねばならない時代に入っていきます。

未来エネルギー

新聞の言うことを総合すると
原子力はとにかくありえない
・火力発電(化石燃料)はこの世に存在しない
水力発電はダムを作るので駄目
地熱発電は火山が近いと言うことを意味するため、風評被害を産む
ので、これらの発電手段は使えません。
一方、再生可能エネルギーは単位当たりの発電量があまりに微妙で、電気を作ること自体が目的ならともかく、メイン発電手段として採用できるほどのものではありません。
ここで注目すべきは電気自動車です。原発反対派の方々の計算によると、原発一基あたりの事故率に比べると自動車一台当たりの事故率は極めて低いとのことで、つまり自動車一台は原発一基と同等のエネルギーを発生させることができます。
上記のように、この世に化石燃料は存在しないので、自動車の大半を占めるガソリン車を使うことはできませんが、電気自動車は確かに存在します。これをタービンにつなぐことで、原子力発電の代替として使うことができるわけです。何で今まで誰もやらなかったんでしょうね。