若さとは

色々なことがあった結果、若者の政治活動が活発になったようです。例によってマスコミがニュースソースなので若干の色眼鏡は必要かと思いますが。
僕はツイッターでこういうことについてあらぶってるので誤解されるかも知れませんが、僕自身はこういった政治活動は良いことだと思っていますし、政治的な活動をしたことそれ自体によって、社会から白い目で見られるような世の中ではあってほしくないと願っています。
しかし、ここから先の話は「彼ら」の見解とは大きく違ってきます。
まず、民主主義の原則として、政治的な活動をするのは自由です。そうであるならば、私企業も、特定の政治的思想を拒否する権利がなければいけません。いかなる個人もあらゆる政治的信条を受け入れなければいけないという考えは、思想信条の自由を明らかに侵害しています。
また、反国家的な(これの認定をどうするかはかなりデリケートな問題ですが)思想の持ち主を公務員として採用することは、国家の保安上、全く許されないことです。多くの人が誤解していますが、国体の保全は個人の自由より優先されます。そうでないならば、急進的な無政府主義者の思想を反映し、国家は解体されるべきです。
つまり、若者の政治活動にはリスクがあります。そのリスクは、現実として存在してしまっているというものではなく、理論によって、思想によって裏打ちされています。「個人の思想や政治的信条によって、就職や社会的生活が不利になることがあってはならない」などという原則は、人類が発祥して以来どこにも存在しません。彼らはそれを認識しているでしょうか?
勿論、彼らの耳にはそういう忠告は届いてはいるようです。ですが彼らは目の前の戦争とか民主主義に反応してしまい、思想について、政治について、国家の在り方について、国家の中の市民の在り方についての考察が非常に不十分なので、上記のことを全く理解していないように思えます。
マスコミは理解しているのでしょうか。全く語ってはくれませんが、彼らは報道しない自由をかなり濫用するので、もしかしたら分かってて煽っているのかもしれません。
シールズの、名前付きでテレビなどで出てるクラスの人たちはまあ、「就職先」があるんでしょうが(彼らは否定してますけどね)、そうでない木っ端構成員の将来は普通に心配です。ヤケを起こして山荘に閉じこもらないでくださいね。