たとえば

土下座というものは、別に誠意ある謝罪の形でも人間の尊厳を損なう屈辱的な行為でもない。
もしそうだとするなら、似たようなポーズを毎日とっているヨガ教室の先生や生徒は大罪人もしくはドMという結論が導き出されるが、一般的にそう思われているわけではない。
じゃあ何で土下座が謝罪の最上級として扱われるかといえば、即座に反撃の取れない体勢で相手に首筋を見せるという、「本当に怒ってるならいまここで俺を殺してもいいよ」という姿勢であるからだ。
現代からは礼儀が失われているが、その最も大きな原因は社会の前提であった暴力を排除したことだ。美しい社会に暴力は必要不可欠な要素であり、互いに危害を加える心配の無い間柄における礼儀は虚礼にすぎない。「親しき仲にも礼儀あり」とは、親族友人であろうともいつ命を狙われるか分からない修羅の世界で生まれた言葉だということは強く心に留めておくべきだ。
平たく結論だけ言えば、謝罪するほどの責任ってのは本来死ななきゃ取れないんですよってこと。まあ、それでも数ダース単位で死んでるのに対して、一人か多くて10人未満の命で贖おうっていうんだから傲慢な考えではあるんですけどね。