犠牲ある社会

テクノロジーというのはその殆どがメリットとデメリットを持っていて、そのメリットがデメリットをより大きく上回ったものが常に時代の先端技術になっていくもので、別段近代以降の技術がより大きなデメリットを生み出しているわけではない。
たとえば、今東京を照らしている照明の電気を蝋燭で補おうとしたらものすごい勢いで周囲が酸欠になっていくであろうことは想像に難くないだろう。
とはいえ、あまりにデメリットの総量が大きすぎる技術というのもまた存在する。私はそれを数年前からこっそりと廃止、もしくは縮小の方向にもっていくべきだと主張しているが、どうやら社会全体はそういうことあんまり考えていないようだ。

「自動車を運転すること」が本来的には犯罪行為だということ、いま日常的に車を運転してる人のどれだけが意識してるんですかね。